コラム

社会的復権を語ろう コラム連載「社会的復権について〜私の実践」


 連載にあたって

 2020年度の全国大会・学術集会は札幌で開催されます。「札幌」ときいて「宣言」を思い浮かべる方が本協会には少なくないことでしょう。
あれ、そんなことないですか?

 「何の宣言か知らない」というあなた、本当に構成員ですか。・・・なんてカタいことは言いません。けれど、これから約3週間ごとに更新されるこのページを読んで考えるきっかけにしていただければと思います。

 札幌宣言とは、精神医学ソーシャルワーカーが関与したY問題というできごとをきっかけに、私たちの先輩(現役の方もいらっしゃいますが、年配者が多くなりました・・・)が自分たちのありようを見直し、協会の存在する意味を追究した結果「精神障害者の社会的復権」を協会の目的として1982年に表明したものの通称です。

 それから40年近くを経た2020年に札幌で全国大会が開かれることを契機に、地域生活支援推進委員会と精神医療・権利擁護委員会による権利擁護部合同プロジェクトを立ち上げ、「精神障害者の社会的復権」について現代の課題を改めて考えてみようと思います。既に愛知大会や2019年9月のブロック会議でのアンケート調査をはじめ、各都道府県支部でもこのことについて考える機会の提供が始まっています。

 「精神医学ソーシャルワーカー」はもう古い、これからは「メンタルヘルスのソーシャルワーカー」だという考えは私たちの間にずいぶん浸透してきたように思われます。けれど、精神障害のある人の福祉、その手前の「社会的復権」は既に成し得たといってよいのでしょうか。この言葉のとらえ方は様々で、あまり意識したことがない、意識はしているけど実践していない、言葉として聞いたことがない、など、自分には関係ないと思っている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、身近に取り組めることはないでしょうか。WEB連載を通してご一緒に現代の社会的復権の課題について考えられればと思っています。

 合同プロジェクトは、下記のメンバーで話し合いを進め、2020年の北海道大会で取組結果の報告を予定しています。連載をご一読いただきますようお願いいたします。

 公益社団法人日本精神保健福祉士協会 副会長 田村 綾子

 もくじ

No タイトル 執筆者  掲載日(予定含む)
1 第1回
社会的復権について〜私の実践
吉澤 浩一 地域生活支援推進委員会 副委員長
相談支援センターくらふと
2019年11月8日 
2 第2回
「社会的復権」を考える〜精神科病院での実践を通して〜
 
山本 めぐみ 精神医療・権利擁護委員会 副委員長
浅香山病院
2019年11月29日
3 第3回
「社会的復権」を考える〜私が想う精神保健福祉士の社会的使命とは〜
徳山 勝 地域生活支援推進委員会 委員長
半田市社会福祉協議会 半田市障がい者相談支援センター
2019年12月20日
4 第4回
いま、できること
  NEW!
田村 綾子 担当副会長
聖学院大学
2020年1月20日
5   金川 洋輔 地域生活支援推進委員会 副委員長
地域生活支援センター サポートセンターきぬた
2020年2月下旬
6   尾形 多佳士 精神医療・権利擁護委員会 担当部長
さっぽろ香雪病院
2020年3月中旬
7   岩尾 貴 精神医療・権利擁護委員会 委員長
朋友会
2020年4月下旬
8   有野 哲章 地域生活支援推進委員会 担当部長
蒼溪会
2020年5月下旬
* 日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会宣言(第18回札幌大会)―当面の基本方針について―(1982(昭和57)年6月26日)

※執筆者所属は2020年1月現在のもの

 

 

第4回 いま、できること

田村 綾子
(担当副会長/聖学院大学)

1.「精神障害者の社会的復権」以前のわたし

 私の最初の職場は神奈川県西部にある精神科病院だった。上司と、当事の理事長の大野和男さんから勧誘されて断れず、日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会に入会したのは平成のはじめのこと。その後、全国大会に毎年参加するうちに研鑽の重要性を実感したし、「精神障害者の社会的復権と福祉のための・・・」というフレーズは何度も見聞きしていた気がする。けれど、協会の委員会活動や理事会に参加するようになるまでは、日々の実務でこれを意識することはなく、ただ「精神障害者の社会復帰」を使命感としていただけだ。しかし、PSWとして多くの入院患者さんの相談にのり、退院支援や金銭管理、ご家族との関係や主治医に話せない悩みなどを聞き、働きたいという人と院外作業先をいっしょに見学したり生活保護申請の同行等々を重ねるなかで、やるせない思いを日々抱かされた。
 精神病になったがために、なんでこんなに我慢しなきゃいけないのか、狭い空間だけで暮らさなきゃいけないのか、変な疑いをかけられたり不必要に力のない人と思われたり・・・。彼らが不当に差別的な扱いを受ける現状には「おかしい」と思うことがあまりに多かった。

2.わたしがPSWになった理由

 私自身は、いわゆる中流のサラリーマン家庭で両親に愛されて育ったと思う。妹たちとケンカしても仲は良かったし、家族で誕生会をしたり父の日・母の日に贈り物をする習慣もあった。それが「ごく普通の」生活だと思って、なんの疑問もなかった。
 なのに、ここ(精神科病院)ではそれらが「ない」。
 こういう世界に初めて身を置いたのは、大学3年の精神科病院での実習のときだ。退院できない患者さんが多数いることは既に習っていたが、こんなに元気にソフトボールもできる、カラオケできれいな声で歌える、笑顔でおしゃべりできる人たちが、なんで?という疑問は、やがて憤りに変わっていった。
 バブル絶頂期の超売り手市場のなか、就職先に精神科病院を迷わず選んだのは、一握りの使命感、加えて入院患者さんたちとの気どりや世間体の要らない対話に居心地よさを感じたからだ。この対話を病院の外でできたら、もっと楽しくて気持ちいいだろうと思った。

3.社会的復権を阻むもの

 社会に再び帰ることと、社会的な権利を取り戻すことは、似て非なるものだろう。
 「復権」とは、人が生まれながらに有する、人としてのかけがえのなさを大切にする思想の具現化だと思う。この幅は、その社会の成熟度や豊かさや寛容さに応じ、また、社会にいる人びと一人ひとりの暮らしの豊かさ、満足度、知性やふところの深さに応じて振幅する。無知が他者を排除することもある。それで古い体験を思い出したので記したい。
 障害者自立支援法が施行されて間もないころ、地元市町の障害程度区分認定審査会で、精神障害のある10代の女子(依存症)の審査中に座長である医師が言った。
 「これからは、こういう(依存症のような、本人の行いのせいで障害者になった)人まで支援しなきゃいけないのかねぇ。」
 彼女の生育歴のなかでどれほどの苦労があったのか、数年にわたる入院で失ったものの大きさはいかばかりか、審査を経て障害者として介護給付を受けようとするまでにどれだけの支援者がかかわり支えてきたか、もちろんそれらは審査会では詳細にわからない。
 ―もしかしたらとんでもない不良娘で非行の果ての依存症かもしれないけれど、そんなことは関係ないの。疾病や障害の理由をいちいち問い、自己責任なら支援を給付しない、なんてことをしていたら、長年喫煙して肺がんになった人だって保険診療は受けられなくなるじゃん。わかってんのかね、そういうこと―とは言い返さず、ただ、こう言った。
 「どの障害も、その理由は問われませんよね。それに、精神科病院には今日審査した身体・知的障害の方より、明らかに程度の軽い障害者が多数います。この方たちがやっと他障害並みにサービス給付の対象となって社会に戻ってこられるかもしれません。ありがたいです。」

4.知らないことの罪、知らしめることの意味

 いま大学1年生に、精神障害者がいわれのない偏見や差別的な処遇の歴史を背負って生きていることをあれこれ工夫して教育している。多くの学生は「そんなのおかしい」「もっと社会復帰させるべき」「諸外国並みに地域生活支援体制を作ってほしい」と感想を述べる。
 一方で、相模原事件の後も京アニ事件の後も、報道やネット情報に影響されてか「精神障害者を簡単に退院させないでほしい」という反応が多くなる。
このギャップを埋めなくてはならない。
 今年1月、相模原障害者施設殺傷事件の被疑者の公判が始まった。事件の再発防止に向けた検討会での3年前の議論とまとめ、措置入院ガイドラインの作成に至る一連の経過は、異様に速やかに精神疾患の発生予防と発症者の早期発見や再発防止の施策に集約された。精神障害が理由の犯行だったのか、事件の再発防止策の内容は裁判で明らかにされる事実とマッチするのか。裁判の確定後に改めて検討会は設置されるのか。動向を見続けたい。偏った情報操作の陰で尊厳を奪われる人があってはならない。「知らない」ことがときに大きな罪を誘発する。
 私が教えている学生の大多数は精神保健福祉士にはならず、精神保健福祉分野で働くこともないだろう。であればなおさら、非専門職の一般市民にこそ、精神障害者に対する差別や偏見の歴史と精神科病院の実態、そして、そこに留め置かれている一人ひとりの「声」や「姿」を伝えなくてはと思う。教員としての私が、いま、日々できる社会的復権に向けた取り組みはこれだと信じている。


 

第3回 「社会的復権」を考える 〜私が想う精神保健福祉士の社会的使命とは〜

徳山 勝
(地域生活支援推進委員会 委員長/半田市社会福祉協議会 半田市障がい者相談支援センター)

1.社会的復権の現状

 本協会の掲げている精神障害者の社会的復権は未だ成し遂げられていません。周りを見渡せば、多くの「社会的入院」や「賃貸住宅の貸し渋り」「世の中の根強い偏見」「機会の不平等」「良質な精神科医療の不足」などが目につきます。このことを解決するために掲げた目標が「精神障害者の社会的復権」であると私は理解しています。ある尊敬する大先輩が「(このような)状況を変えることが、精神保健福祉士の使命であると信じて活動してきた。それができない精神保健福祉専門職は専門職とは認めがたい」と仰ってました。私はその通りだと思います。

2.精神障害者の言葉からの気づき

 一方で、社会的復権の主役である精神障害者(以下、当事者)は、社会的復権についてどう考えているでしょうか。先日ある当事者Aさんからこんなことを聞きました。「私たちって社会的復権をされる立場なんですね」。私はその事を聞いて大きなショックを受けました。ここ最近、精神保健福祉士の仲間たちと「精神障害者の社会的復権」について話し合う機会は増えたのですが、私自身が当事者の方々とそのことについて話し合う機会が無くなっていたことに気づいたのです。

 今から11年前に精神科病院から委託相談支援事業所(現在は基幹相談支援事業所)に転職した私のところに、当事者Bさんが訪ねてきてこう言いました。「せっかくこの病気(統合失調症)になったんだから、その経験を活かしたい」私はその言葉を聞いて精神保健福祉士としての強い使命感に駆られました。そして「当事者が経験を活かしてチャレンジできる場所や機会」を作るための当事者グループをその方達と一緒に作りました。数人の当事者が定期的に集まってそれぞれの経験を話したり、悩みを相談したりしてリカバリーを助け合いました。入院した仲間に会いにいって「地域で待っている」事を伝えに行って退院意欲を高めたり、市外にもネットワークが広がっていき順調でした。しかし何でもそうですが良いことばかりではありません。メンタルの調子を崩す人、人間関係で悩む人、不満が募る人、バーンアウトしてしまう人、そのような状況を見てこの当事者活動に批判的意見を言う方達もいました。今振り返って考えてみると、そういった好ましくない状況を変えようとして、当事者の活動を活性化させるのではなく、批判的な関係者への対応に意識が向いていたと思います。数年が経った今、立場や環境の変化もあり社会的復権について考える時に、支援者や環境へのアプローチに意識が傾きすぎていた事を当事者Aさんの話を聞いて気づかされました。

3.なんのために?誰のために?何に向かって取り組むか

 社会的復権は何のために行うのでしょうか?誰のために行うのでしょうか?このことについて当事者は何を思っているのでしょうか?精神障害者の社会的復権のためには、当事者と協働しながら、環境へのアプローチと当事者が力をつける(エンパワメント)両輪の取り組みが必要だと思います。今回の社会的復権を語ろう運動では当事者とも話して頂けると良いと思います。本協会の活動にも当事者が主体的に関わる取り組みが必要性ではないでしょうか。

 今回、本協会の目的である「精神障害者の社会的復権」をどのように進めていくかを考える良い機会を頂いたと思っています。冒頭にもありますが、37年前に目標に掲げた当初の環境とは随分と違ってきました。法律の改正や国民の意識変化もあります。私は、そういった中で我々精神保健福祉士が日々実践しているソーシャルワークが、当事者に対してどのように影響しているのか?精神障害者の社会的復権に向けて進めているのか?当事者の方々が自ら権利擁護や自己実現できる力を増やせているか?を常に意識していきたいと思います。

 精神障害者の社会的復権に向けて、私は自分が生きているうちに精神保健福祉士として社会的入院の解消を目指します。そのために今私が取り組むことは福祉から地域を変える事です。いろんな所(小学校区から全国区まで)に精神保健福祉士として出しゃばっていきたいと思っています。

 最後に、社会福祉協議会の基幹相談支援センターで精神保健福祉士の主任相談支援専門員として地域福祉にどっぷり浸かって思うことは、精神障害者の権利擁護を本気で考えている専門職の大半は精神保健福祉士ということです。精神保健福祉士の皆さんは日々の実践で今何を目指しますか?


 

第2回 「社会的復権」を考える〜精神科病院での実践を通して〜

山本 めぐみ
(精神医療・権利擁護委員会 副委員長/浅香山病院 医療福祉相談室)

1.社会的復権とは何か

 精神保健福祉士の第1回国家試験が行われた1999年、私はソーシャルワーカーとして病院に就職した。就職後まもなく日本精神保健福祉士協会の倫理綱領を精読し、「精神障害者の社会的復権とは何か?私にできることは何か?」と考えはじめた。
 初めて担当した閉鎖病棟には、何十年も入院している患者さんがあふれており、とても彼らの権利が守られているとは思えなかった。「退院して地域で暮らすこと」が社会的復権だと考え退院支援に取り組み、一人の男性が10年以上の入院を経て退院することができた。精神障害者の社会的復権に少しは寄与できたのではないか、と私は喜んだ。しかし、ある日彼に「通院先を変わりたいけど、先生にダメだと言われた。」と悲しそうに相談された時、通院先さえ自由に選べない状況に置かれていることに気づき、愕然とした。退院できても権利侵害はあらゆるところで起きていた。本人でさえも気づかないうちに。人が人として当たり前に持っているはずの権利が、精神障害があるというだけで簡単に剥奪されてしまう現状を認識し、彼らが本来持つ権利を行使することができて初めて「社会的復権」なのだ、と理解するに至った。

2.社会的復権への実践

 その後も退院支援の取り組みを続けながら、いかに退院後の生活を自分らしく過ごせるかを本人と共に考えてきた。
 ある女性は恋をしたが、周囲は、お金目当てではないか?と交際を猛反対した。彼女は「それでも一緒にいられたら嬉しいの。」と、とても満足げな表情で話した。その顔は「患者さん」ではなく「恋する女性」そのものだった。私は彼女の恋を応援しながら、生活が破綻しないよう見守った。恋をすることも、大切な本人の権利のひとつである。
 また、ある女性は、高速バスで3時間かかる郷里に帰り、娘と再会することを望んでいた。反対する家族や主治医と何度も話合いを重ね、実現することができた。数年ぶりに娘と再会した彼女は、「娘にお小遣いをあげた」と誇らしげに語ってくれた。その顔は「母の顔」であった。
私は、居場所がなく自宅にこもりがちだったある男性と何度か一緒に喫茶店に行った。彼は人付き合いが苦手だった。ある時彼が「勇気を出して1人で店に行ったら、マスターと漫画の話で盛り上がった。」と嬉しそうに話してくれた。彼は「地域住民」であり「常連客」となった。
 社会の中で「患者」としてだけ生きるのではなく、さまざまな顔を見せてくれる彼女たちに私は救われてきた。その一方で、精神科病院で「患者」として一生を終える人も多くいるのが現状である。私一人だけが参列する葬儀を経験するたびに自責の念にかられる。そして、長期入院は人と人との繋がりを失わせてしまう悲しいものであり、長期入院の解消は精神保健福祉士の責務であると痛感する。

3.社会を変える視点

 現在は急性期病棟を担当している。そこには生活に疲れ果て、自ら精神科病院での長期入院を希望する人すらもいる。それほどこの社会には精神障害を抱えながら生きる人にとって過酷な現状がある。通院しながら働くしんどさを理解してもらえず退職し絶望した人、友達とのコミュニケーションが上手く取れず居場所を失った人、家族関係が破綻し孤独に陥った人、生活が苦しくなり生活保護の相談に行ったが断られ、死をも考えた人…。
 私は、彼らが再び社会の中に居場所をみつけ、生きる力を取り戻せるよう意識して今も関わり続けている。そして、彼らが再び生きていきたいと思えるような社会に変えることが「ニューロングステイ(新たな長期入院者)」を生み出すことを防ぎ、精神障害者の社会的復権へとつながるのではないかと考える。
 私たち精神保健福祉士は、彼らが抱える暮らしにくさの根底にどんな問題が潜んでいるのかを考え、「これって、おかしくないですか?」と同僚らと疑問を投げかけ合わなければならない。そうすることで、同じ疑問を抱えている精神保健福祉士等の仲間の存在を知り、 「私のクライエント」が抱える苦しみや困難が、この社会を生きる多くの人に共通する生き辛さであり、社会の課題であると気付くことができる。そして、どこにどう申し入れようか?と具体的な行動に移す手立ても見つかる。日々の実践は単なる「私のソーシャルワーク」ではなく、社会の課題の集積であり、社会を変える第一歩なのだと自覚し、「私たちのソーシャルワーク」としての行動を起こすことで精神障害者の社会的復権を目指したい。


 

第1回 社会的復権について〜私の実践

吉澤 浩一
(地域生活支援推進委員会副委員長/相談支援センターくらふと)

1.PSWとしての礎

 私は、大学在学中に精神保健福祉士(以下PSW)が国家資格化され、卒業と同時に資格を得た。札幌市内の精神科病院と併設の精神障害者地域生活支援センター職員として社会人1年目をスタートした。

 在学中は、実習や諸先生から受けた影響もあり、卒論としてソーシャルワーカーがセルフヘルプグループの社会資源化にどのように関与できるか等を軸に調査研究に取り組み、病院を含む地域の様々な活動にアクセスした。その中で、多くのPSWが、当事者が地域生活の実現や社会参加等の権利を行使できるようにと実践していることを体験的に学んだ。福祉労働者として二重拘束性があるとされる病院PSWも然りであり、とても輝いて見えた。さすがに真似できないと思ったが当事者がより社会の一員として生活が送れるようにと地域づくりを促すためその地域の住民になるPSWもいた。

 社会人なりたての頃に「精神障害者の社会的復権」をどれほど意識していたかはあまり覚えていないが、この権利支援を実践していた先輩方のPSWとしての在り様が自分の実践の根底にある。

2.「精神障害者の社会的復権」の実践

 新人の頃はおそらく思いが先行していた。利用者に積極的に向き合い、地域の方にも協働イベントを企画する等積極的にかかわり理想のソーシャルワークを目指そうとしていたかもしれないが、一方で病院への働きかけや、自分の価値基準と異なる職員等との連携はなおざりであった。数年経ち、退院促進のモデル事業が始まり「入院医療中心から地域生活中心へ」と政策理念が掲げられるなかで、改めて精神保健福祉士の目的に立ち返り今までのなおざりな実践を直視し、恩師・先輩から教えを乞い、同期・後輩と毎週のように理想のPSW像を求め学び直そうとした記憶がある。

 PSWの意義を再確認するなか、地域との連携、教育や就労の領域も今でいう地域移行支援と関連付けて捉えるようになったが、なかなかうまくいかないことが多く「本人には地域生活・社会生活の体験、家族や支援者には地域生活へ向かう手掛かりとなるアセスメント情報を得る機会がもっとあれば」と「お泊り機能付き相談支援」の構想を持ったのはこの頃だった。

 2009年に私事にて東京へ身を移すことになり、当時おおよそ7400床だった札幌市と違い病床ゼロという江戸川区の状況に戸惑いを覚えたが、「病床が無いなら尚更必要」と区単独のショートステイ事業を担当し「お泊り機能付き相談支援」を実践し始めた。当然マネジメントには各支援関係者、地域住民、病院、行政との連携が必要であり、各関係者をまわり、地域にネットワークを持つ方の協力を得、受入れから地域生活までの支援過程を整理し病院には啓発をした。江戸川区行政は当時「相談支援は行政の仕事」という捉え方であったが、民間事業所が行う意味もあると働きかけを続け、一方で相談支援事業所を設立し区内の相談支援事業所と連絡会を立ち上げソーシャルアクションを進める基盤を整えた。また有志と新たに小回りの利く相談支援事業所を別に立ち上げ、数年後に地域移行支援の専従職員を配置し、東京に移り10年程経った今、毎月15件以上の地域移行支援を実践している。

3.私が考える「精神障害者の社会的復権」

 協会の目的として「精神障害者の社会的復権」が掲げられ40年近く経ち、この言葉の意味を問い直す目的で調査や啓発活動が進められているが、精神保健福祉士法に精神保健福祉士の業として地域移行支援が位置付けられているように、社会的入院・長期入院の解消と予防は精神保健福祉士にとって軸ではないかと思う。精神保健福祉士がどのような立ち位置にあってもソーシャルワーカーとして本来の役割を果たしながら―かかわる当事者とその方を取り巻く環境、地域社会へ働きかけながらそれを推し進めることが「精神障害者の社会的復権」へ向けた実践だと考える。その実践を積み上げていきたい。



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